ATARAと知恵の関係
たまにですが、普段何気なく使っている言葉の意味をもう一度確認し直すことがあります。
新たな気付きがあることもあり、言葉の意味ってちゃんと理由があるんだなということがわかるのでお勧めです。
最近、知識と知恵の違いを知るためにそれぞれ調べてみました。
知識とは、知ること、認識・理解すること。
知恵とは、物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。
私の解釈ですが、知識とは、経験等の学習から得るもので、自らが得ようとしないと入ってこないものだと思っています。
ここで、「識」の意味を見てみると、物事の道理を知ること。また、見識があること。という意味でした。
ということは、ただ単に事実や情報を知っている(持っている)だけでなく、「理解すること」というのが重要だと思っていて、この理解を通して初めて知識と言えるのではないかと。
そして、この知識が知恵につながります。
「日本の知恵」
自然の恵みを余すことなく大切に使うこと、これは知恵そのものでした。
かつては、お米を作って、脱穀した後の稲わらを縄や草履を編む原料にしました。
更に、もみがらは堆肥にし、白米にした際の米ぬかを洗剤として使用したり、肥料にしたり、漬け物を漬け込んだりしました。
また、収穫した食料を保存することも、無駄なく使うという「もったいない」精神から来ています。
米ぬかを使った漬け物や、魚や野菜を干して、保存期間を長くするだけでなく、栄養価もあがり、重さやかさが減ることで遠くに運びやすくなりました。
ATARAが次の時代にも継承したい「もったいない」「余すことなく使う」といった精神、価値は、実は日本人の知恵によって、発酵、乾燥といった食の保存技術を生み出しました。
乾燥技術に関しては特に装置化が進み、様々な乾燥方法があります。
当時は物がない時代だったので状況が違うと言われるかもしれません。
しかし、資源浪費の元に成り立っている「モノ溢れ」のこの時代にこそ、大切にしたい価値観だと思っています。
ATARAの活動は、現存する技術等を活用し、経験や知識を組合せ、知恵につなげる活動だったんだと。
知識と知恵を調べていて、自分で腹落ちしていたことを独り言ちてみました^^
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