当たり前をリセットしてみる
「当たり前でしょ」、「当然だよ」って言葉を最近発したことはありますか?
当たり前とは、そうあるべきこと。そうすべきこと。また、そのさま。
これは個人によって差があると思います。
私は2つの理由から、極力この言葉を使わない(思わない)ように心がけています。
簡単ではないですが、特に今、これが必要だと考えています。
まず一つ目に、時代の変化に適応しやすくするため。
ポジティブに考えると、時代の変化を柔軟に取り入れるために必要だと思っています。
今、これまでの常識が常識ではなくなるという現象が増えています。
コロナ禍でそれを実感した方も多いのではないでしょうか。
こういう時に、「これまで」にとらわれすぎると、変化に適応できなくなってしまいます。
そして、以前の「長ーい目で見ることをやめていませんか?」
https://atara-iwate.com/2021/10/09/blog24/
で書いた、現在バイアスがかかりやすい状況で、短期的な思考に陥りやすくなるとも思っています。
それが、先行きへの不安につながり、精神的にも余裕がなくなることにつながるのではないかと。
時代の変化を柔軟に取り入れるためには、これまでの当たり前も変化すると考えておいたほうが余裕が持てると思っています。
次に2つ目として、感謝の気持ちを失うと成長の機会を失うとともに、人間関係にも余裕がなくなるから。
当たり前の対義語って、実は有難うだという事はご存じの方も多いと思います。
有難うは、「あり難し」という事で、あることがむずかしい、まれである。という事ですよね。
我々は毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしています。
でも実は、そうではなくて、「あり難いこと」だと考える。
これを命に置換えるとお釈迦様のお話しになりますので、仏教の教えとも言えますかね。
また、人は謙虚さを失うと成長が止まると思っています。
感謝の気持ちを持ち続けることも謙虚さにつながると思っています。
さらに、最初は感謝をしていたのに、当たり前になると感謝しなくなる。
やって当然でしょ。となると、次第に人間関係がギスギスしてきませんか?
これって人間関係における余裕をなくすことにつながっている気がしています。
なので、有難うという言葉は極力使うように心がけています。
最後に、「余裕」という言葉を使いました。
・精神的余裕
・人間関係の余裕
コロナ禍の今、ここに金銭的余裕の無さも加わっている方も多いと思います。
余裕がないと先のことなんて考えられなくなります。
今を生きるので精いっぱい。
2030年、2050年のことを考えようと思うと、余裕、ゆとりがないと厳しいです。
そのためにも、当たり前だと思っていることを一度リセットして考えてみるのも余裕を作る手段の一つではないかと考えています。
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