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2050年のごみの定義について考えてみた

皆さん「ごみ」の定義について調べたことはありますか?
あまりごみ自体について考えることが少ないかもしれませんね^^”

今回は5月30日の「ごみゼロの日」を前に、ごみについて少し考えてみました。
そして、最後はかなり飛躍しますが、2050年のごみの定義について考えてみたいと思います。

まずは現在の”ごみ”がどのように定義されているのか確認をしてみます。
法律上のごみは廃棄物の中に入っています。

「廃棄物」とは、ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、ふん尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であつて、固形状又は液状のもの(放射性物質及びこれによつて汚染された物を除く。)をいう。

廃棄物の処理及び清掃に関する法律第2条の一部を抜粋


となっていて、大きく廃棄物と区分されています。
係わっている方はわかると思うのですが、管理上の区分を明確にするための定義です。

では次に、いつものように辞書を引いてみると

ごみとは
一般には生活に伴って発生する不要物をいう。ごみの定義は社会通念の違いで大きく変化する。かつてごみは無価値なものと認識されていたが,今日ではまだ使えるものが廃棄されたり,廃棄されたものが資源として再利用されるようになっており,その価値にかかわらず所有する意志を放棄したものがごみであると考えられている。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より引用

補足として、

社会通念とは、
社会一般に通用している常識または見解。法の解釈や裁判調停などにおいて、一つの判断基準として用いられる。

デジタル大辞泉より引用

となっています。

ここであえて赤字にした箇所の「社会通念の違い」について考えてみると、いま、「ゴミ」の定義は過渡期にあると思っています。
例えば、

  • 本人は所有する意思を放棄したとしても、他の人にとっては価値があるということで、そういうやり取りがメルカリなどを通して行われていたり
  • 所有しないシェアサービスが増えてきていたり
  • アップサイクルの取組みが増えてきていたり

他用途の資源として活用される手段がたくさん出てくれば、そもそもゴミとして扱われることがなくなってくると思っています。
今はそういう状態になっていく過程にある。つまり新しい常識が生まれる社会状況にあると感じています。

では、少し視点を変えて、なぜゴミは増えたのでしょうか?
それは私たちの豊かさ、利便性の向上と表裏の関係にありました。

豊かではなかった時代には、壊れても直して使ったり、再利用したり、意識しなくてもモノを大切にしていました。
それがある程度の豊かさを手に入れると、壊れていないのに頻繁に買い替えたり、使い捨てたり、モノを大切にしなくなっていきました。
結果、ゴミの量が増えてきたという経緯があります。

じゃあ、その便利さを捨てればいいのかというと、そういうことを言うつもりはありません^^”
例えば、現在これまで追求してきた利便性を捨てているかというと、決してそうではなく、継続して利便性は向上していると感じています。

*あえて不便さに回帰することを望む人等、趣味嗜好の多様性は出てきていると思います^^
*利便性に関しては、人によって住んでいる地域などで感じ方が違うと思いますし、あくまでも私個人の感覚になることをお許しくださいm(__)m

だとすると、ゴミも増え続けているかというと、そうではないのです。
令和3年度のゴミ総排出量は4,095万トンで、一日一人当たりに換算すると890g。
環境省が毎年公表している、一般廃棄物の排出及び処理状況等(令和3年度)の調査結果より推移がわかるグラフを以下に引用してみます。

https://www.env.go.jp/content/000123409.pdf

ごみ総排出量の推移

左縦軸のごみ総排出量の単位設定が絶妙なのでわかりやすいのですが、年々ごみの量は減少しています。

参考までに、産業廃棄物に関しても、減少しています。
一般廃棄物とは単位が違うので、減少幅はないようにも見えますが、R2年からR3年にかけて3百万トン減少しています。

産業廃棄物排出量の推移(令和3年度実績値)

環境省:産業廃棄物の排出及び処理状況(令和3年度速報値)より引用
https://www.env.go.jp/content/000123320.pdf

利便性は向上してもごみの量は増えていません。

ただし、日本はゴミを輸出しているという事実もあります。

ジェトロビジネス短信の添付資料より引用
https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/02/2020e6e1a4099e98.html#:~:text=%E8%B2%A1%E5%8B%99%E7%9C%81%E3%81%AE1%E6%9C%88,%EF%BC%88%E6%B7%BB%E4%BB%98%E8%B3%87%E6%96%99%E8%A1%A8%E5%8F%82%E7%85%A7%EF%BC%89%E3%80%82

特に廃プラスチックに関しては、輸出量は減少してきているものの、なくなってはいません。
そして、それが海洋プラスチック問題にもつながっているという可能性は否定できません。

日本含め先進国は別として、現在発展途上にある国々は、今後成長過程で同じようにエネルギーをたくさん使い、ゴミの量も増えるでしょう。

かなり浅いのですが^^”、ここまでの内容から未来のごみの定義を考えてみました。

  • SDGs以降の活動により新しい常識に切り替わっている
  • 国内ではものによる利便性の向上は満たされている
  • 資源として活用される手段は増えてきている

と考えると、国内ではごみの量は増えないと考えます。
人口も減りますし。

ただし、海外ではものによる利便性の向上が進む国がまだまだあります。
と考えると、日本はごみを輸出するのではなく、むしろ海外のごみを資源として活用するくらいになっている必要があると思います。

という時代のごみの定義は、
 「資源としての活用方法がなく、自然に吸収されないもの」

この定義のものだけがごみとして扱われる。
そんな社会になっていくのではないでしょうか⁉

ATARAの活動もそういう想いから始まっていますので。

連休最後の日の妄想でした^^

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