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ATARA流 わび さび

花をのみ待つらむ人に 

山里の雪間の

草の春を

みせばや

花が咲くことばかりを待ち望む人たちに、山里につもる雪の間から芽吹く若草の、そこにすでにある「春」というものを見せたいものだ、と詠ったのは藤原家隆でした。

そして、この1首は後に、千利休が「わび茶の理念」として取り上げたと言われています。

「もったいない」もそうなのですが、「わび さび」も日本語にしかない表現ですよね。

そんな「わびさび」について、意味の説明を求められると答えに詰まることがありませんか?

実は私も答えに詰まる人だったので、「わび さび」の意味について再確認をし、自分なりに解釈をしてみました。【weblio古語辞典を参照しました】

「わび」は古語である「侘ぶ」という動詞から由来していて、「気落ちする。悲観する。嘆く。悩む。」といったネガティブな言葉で、内面的なことを表す言葉と、「静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。」といった意味もあったようで、後述の意味が強くなったということなのか。ふむふむなるほど。。

「さび」も古語である「寂ぶ」という動詞に由来していて、「荒れた気持ちになる。(光や色が)弱くなる。あせる。さびる。」といった言葉と、「(古びて)趣が出る。」といった意味もあったようですが、後述の意味はすでに「わび」と合体している気がしますね^^”

いずれもネガティブにとらえられる言葉ですが、少し私なりの拡大解釈を加えると、「さび」を「劣化」、「魅力がない」と捉えずに、「変化が織りなす多様で独特な美しさ」、また「きらびやかさだけではない良さ・美しさ」と捉え、「さび」の美しさを見出す内面的な心である「わび」を持って、「心の豊かさ」、「美意識」としてポジティブに捉えたのが「わびさび」だというふうに解釈しました!

ここで最初の藤原家隆の歌をもう一度見るとわかりやすくなりました。

藤原家隆含め、和歌を詠む人たちの「わび力」の高さって半端ないですよね^^

ここで、私も「わび力」を上げるために感覚でとらえていた、ATARAの「わび さび」を整理してみました。

ATARAの原料は「もったいない状態」の資源です。つまり、「もう必要ない、どこにでもある、価値が低い・ない、だれも見向きもしない」という状態です。

これってつまり「さび」の本来のネガティブな面ですよね。

そんな資源にも、「気づいていない良さ・美しさ・価値がある」という事を表現しているのが、ATARAの作品達です^^

ATARA流の わび さび

そういう観点でも一度ご覧になってみてください!

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